
私は父親が大好きないわゆるパパっこでした。思春期女子にありがちな父親を嫌いになる時期というのも経験しませんでした。しかし、大好きな父ですが私は「将来、結婚する人は絶対父みたいじゃない人がいい」と考えていたのです。
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子どもにとっては、良い父親
私は三姉妹の長女として両親のもとに生まれました。父はかなり子煩悩な性格で、私たち3人の娘をとても大切に育ててくれました。
なかでも、長女として生まれた私を非常にかわいがってくれたように思います。そのため、私自身も幼いころからたくさん甘やかしてくれる父が大好きでした。
自分になつく娘に対して父もメロメロだったそうで、自分の趣味のラジコンやミニ四駆、オートバイにF-1、キャンプと自分の趣味を教えては一緒に遊んで、私はすっかり父の趣味に染まっていきました。
妻にとってはどうしようもない夫
私たち子どもたちにとっては良い父親であっても、妻である母にとっては悩まされることも多々あったそうです。
もともと子育てしながら、ある仕事をしたいと思っていた母ですが、父は「幼いうちは母親が子どものもとから離れてはいけない」という考えを母に押し付けて、母に専業主婦をさせていました。
また、多趣味だった父には浪費癖がありました。母に専業主婦をさせているため、私たち家族は父自身の給料だけで生活をしていたのですが、父のお金の使い方は自分の収入に見合ったものではなく、母は家計のやりくりが大変だったそうです。
そんなときも母は、子どもたちに貧しい思いをさせたくないと、一生懸命節約しながら、遊びはお金がかからないよう工夫を凝らして、私たち子どもを楽しませてくれました。
しかし、父の残念なところはそれだけにとどまらず、ただでさえ家計が苦しいのに、人間関係や自分の処遇に納得がいかなくなると、後先考えずに仕事をやめてしまう癖があったのです。
すぐに再就職先が見つかっても給料が下がってしまったり、せっかく安定して働いていると思ったら10年も経たずに退職したり。再就職先が見つからないまま、半年間失業状態という時期もありました。
そのころには、母も専業主婦ではなく、仕事をするようになっていたため、何とか生活することはできていました。しかし、当時大学生だった私は、留学することを目標にしていましたが、母は私に「父が無職のままでは留学は難しいから諦めて」と言いました。このことは、私が大人になった今でも悔やんでいることだと母は話します。
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